院長挨拶
一番の専門は消化器科です。東大・獨協医科大学では乳腺外来も担当。獨協医科大学では若手の医師の教育のかたわら、内視鏡室の責任者もしていました。麻酔科標榜医でもあり全身管理が得意、糖尿病・高脂血症・高血圧症の本質に迫ります。病理学教室ではすべての病気の本質を勉強し、general (総合的)な診療をめざしています。 大学では二万件近くの手術を行いましたが、井原医院でも1984年以降の二千件近くの手術すべてを執刀、1998年からは独立に備えて内科を主体に外来診療を行ってきました。 せっかくの機会ですので少し詳しく経歴を書かせて頂きます。父親、祖父とも東京大学医学部卒業で私も医者の道に進むことをある程度宿命づけられていた気がします。横浜市港北区綱島で幼少の頃を過ごし、小学校は父親がニューヨーク州立大学の交換教授をしていた関係からアメリカ合衆国ニューヨーク州の現地の学校に通学しました。アメリカでは自己主張し人と討論することの大事さと、不思議なのですが、福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という考え方もたたきこまれました。アメリカ国歌を原語で今も歌えます。 帰国後、大田区立田園調布中学校、都立三田高校とすすみ、昭和45年に東京大学理科二類に入学しました。登山の趣味が高じ、山にこもる生活が続き、点数の関係で医学部には進学できず、薬学部に行くかどうか迷ったのですが、結局再受験をし、昭和48年に東京大学理科三類(医学進学専門)に再入学しました。その後は無事に推移し、昭和54年に医学部医学科を卒業しました。東京大学では合計9年間の学生生活を送ったことになります。教養十分です。 卒業後は昭和天皇陛下の手術をしたことで有名になった森岡教授の主宰する東大第一外科というところに在籍したのですが、病理学教室に籍をおいていた当時からさまざまな病気の本質を勉強するのが好きで、いずれはgeneral physician (できる限り多くの病気に習熟している医者)になりたいと思っていました。 ただ技術は必要で(内視鏡検査・小手術などは手先の器用さが必要)、初めに外科に所属したことは大きなプラスでした。麻酔科でも長く研修し、厚生省認可の麻酔標榜医資格も取得しました。全身管理が得意なのはそのためでもあります。また若手の医者を育てるのも好きで、獨協医科大学では大勢の教え子に恵まれました。 年齢も50歳を過ぎ、外科医としてのピークも越えて、今は外科手術に執着することなく、内科一般もこなし広い意味での"お医者さん"になりたいと思っています。2003年の2月1日に、本当の意味での「患者さん本位」の医療を目指して、寺田クリニックを立ち上げました。おかげさまでスタッフにも恵まれ、自分としては理想に近いスタートが切れたと喜んでいますが、さらに皆様方のご指導・ご鞭撻で、よりよい寺田クリニックをめざしたいと思っています。 どんなことでもかまいませんので、気がついた点などございましたら、寺田まで、あるいはスタッフまでお伝え下さい。